Desi Dwi Lestari プロフィール
①簡単な自己紹介をお願いします。
私の名前は、Desi Dwi Lestariです。私は東ジャワ州マラン南部の沿岸地域で生まれました。私の父は、インドネシアにある日本の船に乗船して働いていた漁師であり、私の母は普通の主婦です。私には1人の兄がいます。
私のアーティストとしてのキャリアは、美術専攻でグラフィックアートの学部での学習から始まりました。私の作品の多くは、リノカットプリントやスクリーンプリントといったメディアを使用しています。
現在はファッションデザイナーとしても活動しています。ファッション分野での活動は高校の時から始めました。高校の時に古着のアップサイクルコンペティションで優勝して、ジャカルタのファッション学校ESMOD Jakartaで奨学金を得ることができて、ファッションデザイナーになりました。
②日本に行ったことはありますか。行ったことがある場合は、どこに行きましたか。またそれはプライベートの旅行ですか、仕事ですか。
まだ行ったことがありません。
③日本の印象、日本から影響を受けたこと、日本人アーティストの印象等について何かあれば、教えて頂けますでしょうか。
特にまだありません。
④MISSAO ARTに参加してみようと思った理由について教えて頂けますでしょうか。
私がMISSAO ARTに参加したいと思ったのは、MISSAO ARTがアーティストの成長と進歩を支援する可能性を持っていると考えたからです。特に私のような小さな町出身のアーティストにとって、より広く認知され、機会を得ることができるようになる可能性があると思うからです。
⑤最近のアーティスト活動について教えて頂けますでしょうか。
最近のアーティストとしての活動は、LANO ART PROJECTとtitik duaが主催したUbud Print Fairに100人の版画家(Printmaking アーティスト)と共に出展したことです。
⑥これまでのアーティスト活動の中で印象に残っているプロジェクトや展覧会があれば、教えて頂けますでしょうか。
私にとって印象深い展覧会はいくつかあります。その中の一つは、Ubud Print Fairです。そこでは、他の版画作家や様々な地域の版画家のマスターと一緒に展示する機会がありました。
また、私にとって印象的なのは、私の最初のグラフィックアート展覧会である「Grafik Pangkal Jalan」というプロジェクトでした。この展覧会はバトゥにあるGaleri Raosというギャラリースペースで開催され、私はハードボードカット彫刻の作品で初めて女性のグラフィックアーティストとして知られるようになりました。
そして最後に、BLACK HAND GANGというスタジオからのレジデンス招待プロジェクトがありました。この活動も私にとって非常に印象深い経験でした。Devy Ferdiantoという版画のマスターが私の制作過程をサポートしてくれました。
⑦今後のアーティスト活動について、目標や、やりたいこと等があれば教えて頂けますでしょうか。
将来の目標は、日本で開催される大きな展覧会に参加することです。
また、日本や海外で個展を開催し、私の名前をもっと広く知ってもらい、いろいろな国の人に作品をコレクションしてもらえるようになりたいです。
⑧最後に、日本の方々に向けて、何かメッセージがあれば、教えて頂けますでしょうか。
日本のお客様やコレクターの方へのメッセージは、遠隔地から来た複雑な創作過程を持つアーティストである私の作品を、宜しければコレクションしてください。
2024.2.4
そして最後に、Black Hand Gang Baliというスタジオからのレジデンス招待プロジェクトがありました。この活動も私にとって非常に印象深い経験でした。Devy Ferdianto氏という版画のマスターが私の制作過程をサポートしてくれました。