Ari Wuryanto プロフィール
①簡単な自己紹介をお願いします。
私は、1990年、中部ジャワのカランアニャルで生まれました。2011年から2016年にInstitut Seni Indonesia Surakartaで美術教育を学びました。卒業後今日まで、そしてこれからも芸術家人生を続けていこうと決意しました。
アート作品の制作では、キャンバスにアクリル絵の具、紙にドローイングペンやボールペンを使うことが多く、時には鉛筆で描くことも楽しみます。しかし、最近は別のメディアとして、プラスチックのゴミを彫刻にしてみたりしていますが、まだ実験的な段階です。作品のテーマとしては、内面的な葛藤やポップカルチャーのテーマ、スピリチュアルな事柄から選ぶことが多いです。
②日本に行ったことはありますか。行ったことがある場合は、どこに行きましたか。またそれはプライベートの旅行ですか、仕事ですか。
まだ行ったことがありません。
③日本の印象、日本から影響を受けたこと、日本人アーティストの印象等について何かあれば、教えて頂けますでしょうか。
アート作品の制作やエンタテインメントの活動に対する影響ということであれば、私は影響を受けていると思います。私は、小さい頃から日本のアニメに親しんでいて、子供の頃によく描いていたキャラクターは孫悟空や緋村剣心でした。大人になってからは、スタジオジブリのアニメに出会い、今も大好きです。
④MISSAO ARTに参加してみようと思った理由について教えて頂けますでしょうか。
これは、私自身の成長のチャンスだと思ったからです。そして、日本に行きたいという気持ちもあります。MISSAO ARTとのネットワークを通じて、日本に観光としてではなく、一人のアーティストとして、実際に日本に行くことができるかもしれないとも思っています。
⑤最近のアーティスト活動について教えて頂けますでしょうか。
絵を描いたり、物事を考えたり、時には本を読んだり、映画を見たりして過ごすことが多くなりました。文化活動家の友人たちとのコミュニティで過ごしたり、またイスラムの朗読会のメンバーであり、カランアニャルの文学者コミュニティの一員としても活動しています。最近は、文芸書まで自主出版してしまいました。本もまだまだ書くつもりです。
⑥これまでのアーティスト活動の中で印象に残っているプロジェクトや展覧会があれば、教えて頂けますでしょうか。
大学時代にクラスの展覧会の委員長を務めたことがありますが、その時に初めて美術展に参加者としてだけでなく、展覧会の企画者として携わったことを思い出します。もちろん、それは私にとって非常に印象的なことで、その後、クラスの展覧会を開催するたびに、いつも委員長を頼まれるようになったのです。
最近、Galeri Nasional Indonesiaで作品を展示をしたのですが、友人たちからの反応がよく、また多くの外国人が私の作品を見て興味を持ったと私に伝えてくれたので、自分のアート作品に対して楽観的になることができました。
⑦今後のアーティスト活動について、目標や、やりたいこと等があれば教えて頂けますでしょうか。
私は、寺院、Wayang Beber絵画、影絵などの形で、我が国の祖先の痕跡を数多く目にしてきました。これらは、私たちインドネシア人が、アイコン、シンボル、哲学、そして、過去における国家の偉大なアイデンティティを描いた作品として認識し、読み取ることができるのです。そして、最近考えているのは、アーティストとして、後世にどんな良い作品を残せるかということです。思想や文化面で影響を与えたアーティストとして記憶されたいと思っています。
⑧最後に、日本の方々に向けて、何かメッセージがあれば、教えて頂けますでしょうか。
私の作品が、日本で好まれることを願っています。
2023.1.10